本来ならば、一学期に立教へ帰寮してから初めて手にする「赤ネクタイ」。しかし私たちはこの通例を無視して、一足早く三学期末にもらった。これは私たちが新高三としての意識が高かったとかではなく、新型コロナウイルスの影響を受けたからだ。
立教は他の日本の学校と比較して、世界情勢に左右されやすい。今回も例に漏れず、新型コロナウイルスの感染拡大防止で、一学期は多くの新入生も保護者は同伴せずに生徒のみの入寮となった。私たちはそれによって困っている新入生を導くために「赤ネクタイ」を身につける許しを得たのだ。しかし、事態は世界規模で想像以上に悪化してしまったので、立教生は帰寮することさえ許されなくなった。当然「赤ネクタイ」はしわ一つなく、ブラウスの掛けられたハンガーの首に下がっている。
私はこのような状況に陥って気付かされたことがある。それは、中三からの立教生活では一度も感じたことのない、立教への恋しさだ。今週からインターネットを最大限利用して、クラスメイトや先生方とは画面越しで会うことが出来るようになった。だが、この遠い距離感がもどかしい。直接会えていたことを当たり前と信じ込んでいたからこそ、映像でしか会えない現状はとても辛いものだ。一日でも早く「赤ネクタイ」を首元にまとった皆に会い、「似合わない」と軽口がたたけるような、二ヶ月前と同じ平和な日々に戻りはしないだろうか。このように切望するほどに、私は立教が恋しい。
新型コロナウイルスは現代社会の問題点を具象化するかのように、全世界を混乱へと陥れた。私は先に述べたような感情から、新型コロナウイルスを一刻も早く駆逐したいと考えている。ところが、一方では今までの社会を見つめ直す良い機会になったとも思っている。科学技術の発展によって格段に日常生活が豊かになったのは事実でありながら、その側面では多くの課題を抱えている。身近なものとして、自動車や飛行機から排出されるガスによる環境破壊が挙げられる。今、全世界が岐路に立たされている。そして、私たちが生きる未来は今にかかっている。そう気付いたとき、私が今出来ることとは何だろうか。この答えが出るまで、私は「赤ネクタイ」がなじむどころか、身につけて下級生を導くことは到底出来ないだろう。
(高等部3年生 女子)