春休み

春休み

この春休みを端的に言うと、「当たり前」はないということを学んだ休みだった。

先学期の最後の方から確かにコロナウイルスは猛威を振るっていたが、四月になれば立教に帰れて、みんなとの日常を過ごせると思っていた。だから三月にみんなと別れた時に発した言葉は「また四月ね。」だった。そのため、春休みが始まって1週間半経った、三月の中旬に立教から来たメールには腰を抜かした。帰校が四月ではなく、六月だというものだった。残り二学期間しかない立教生活が短くなるのかと思うと、とても悲しかった。休みが終われば立教に帰り、みんなに会えるという私の中での「当たり前」が一瞬で壊れた瞬間だった。「当たり前」だと思えている生活があるということは幸せなのではないかと思った。学校に行けること、友達に会えること、行きたいときに買い物に行けること、そのほかたくさんのことを「当たり前」だと思っていた。しかし「当たり前」なんてなく、不自由なく生活できているということはとても幸せだということに気づいた。

「当たり前」がないと知った私はこの四月から高三になった。異例ではあったがヒースロー空港で配られた高三の象徴である赤ネクタイが、立教に帰るときには似合っている高三になれるよう、立教に帰るまでの期間成長できるよう、頑張ろうと思う。そして残り少ない立教生活を満喫しようと思う。

(高等部3年生 女子)