私は今まで父の仕事の関係で、転校を繰り返してきました。新しい環境に入って、新しい友達に出会い、そして転校する、そのループにいる中で、私は気づかないうちに、いつの間にか、その場限りの関係性で終わらすようにしていたように思います。楽しければいい。どうせ、また引っ越すから、とどこか諦めたところがあったのかもしれません。転校してしばらくは連絡を取ったとしても、誰とも全く続かなかった。自分にも続けようとする気もなかったから。LINEやInstagram、Twitterなど、転校した分「友だち」や「フォロワー」の数は増えたけれども、その数を見るたびにどこか虚しい気持ちになっていました。
この春休み、他の人と物理的にも心理的にも距離が離れ、自分に向き合う時間が増えました。そのなかで、物心ついて初めて感じました。「この人たちとはこれからも仲良くしたい」という気持ちに。立教英国学院では、24時間、常に誰かと一緒にいます。その時間の中で気づいたら大事な友達がたくさんできていたのです。いつも誰かと一緒にいるから、深く考えなくても一人一人との関係性は深くなる。他人と深く関わるということをしてこなかった私にとっては初めてのことでした。初めてのことだったからかもしれないのですが、「これからも大事にしたい友だちができた」という当たり前のことに、せわしない学園生活の中では気付くことができませんでした。今度学校に帰ったら、一人一人との付き合いを今まで以上に大切に築いていきたいです。欲しがりかもしれないのですが、「これから」だけではなく、「これまで」の友達との関係ももう一度育みなおせたら、と考えています。もう会えないし、と割り切ってしまっていたため、今でも繋がっている人は数人、しかも本当に細い糸でしか繋がっていません。それでも、その細い糸が切れないように、できたら何人かの糸はもう少し確かな麻糸くらいにはできるように、もう一度、人との向き合い方を見つめなおしていきます。
たしかに特別なことはしていなかった春休みだったかもしれません。しかし、その「当たり前」を初めて発見できたことを考えると今までで一番得たものの大きい時間だった気がします。また、料理を母から教えてもらったり、家事を手伝ったり、犬の散歩に行ったり、映画を見たりと、特別なことは何もしてなかった毎日でしたが、でもそんな普通のことしか行っていないのに「楽しいな、幸せだな」と思える瞬間が本当に多かったです。今までにないくらい、家族との時間も増え、三食ともにみんなで食卓を囲み、そんな毎日もなかなか気に入っています。
最後に、私の部屋の前にはものすごく大きな木が立っているのですが、三月に家に帰ってきたときは枝に葉は全くついてなかったのです。それが、日を重ねていくうちに、芽が出てきて、少しずつ葉を付け、葉の色も緑を深くして、とにかく成長が目に見えて分かるのです。どんなに風や雨が強かった日でも、次の日は何事もなかったようにそびえている。そんな姿をみていると、「きっとこれからなにがあっても大丈夫、自分も負けてられないな」という気分になります。
今年は自分にとって高校生活最後の年になりますが、何一つ後悔しないように、新しい気持ちで臨んでいきたいです。
(高等部3年生 女子)