少し肌寒いながらも晴天に恵まれた三月七日、本年度の卒業式が行なわれまました。43名の高校三年生が本学院を旅立ちました。今回で二度目の卒業式礼拝の司式をさせて頂きましたが、その中で印象に残ったのは本学院理事である今井理事(伊藤忠欧州会社社長)の祝辞でした。学生時代にフランス留学をし、長年、仕事を通して世界中を旅し、現在はロンドンを拠点にして仕事しておられる今井理事は、今でも海外での生活における苦しみや日本への望郷の念があるという体験を語りながら、今の苦しみの先にある喜びについて語って下さいました。
遠藤周作の「留学」という三本の短篇が収められた小説があります。カトリック教徒の遠藤氏自身のフランス留学体験が反映されているようですが、理想や希望を胸に抱いて、ヨーロッパに留学した三人の日本人が、言葉の壁、文化・慣習の違いからくる葛藤、その他様々なことに直面し、理想と現実の狭間で苦しみ、挫折していく姿が描かれています。海外で生活する機会を通して何度かこの小説を読み、自分の体験と重ね合わせていました。
私はこれまでに二度留学の機会を頂きました。一度目は大学二年の頃の米国短期留学、二度目は七年前の英国留学です。最初の留学は大学での前期の単位取得のためでしたが、日本からの同級生も多く、さほど寂しさや苦しさを感じることはありませんでした。しかし、二度目の英国留学は聖職志願し、司祭(牧師)になるための準備としての英国留学でした。歴史のある修道会によって創設されたアカデミックな神学校でしたが、周りは英国人ばかりで日本人は自分だけの修道院内にある寮生活、厳しい規律と学問生活は挫折の連続でした。神学用語の嵐に翻弄される日々であり、食事の席でも授業の続きで盛り上がる神学生達の英語やその他、彼らの話すジョークもわからず、溜息を漏らす日々でありました。最初の学期に「はっきり言って、今のあなたにはここでの学問は無理だ」と言われたことは今でも覚えています。留学前に聞いた色々な留学生の成功談とはまったくかけ離れた自分がそこにいて、自分のこの英国での時間は何なのだろうか、意味があるのだろうか、と思い悩みました。日本が恋しいと毎日思っていました。海外に憧れる日本人から見れば、英国留学をする、英国で生活することは、非常に恵まれているように映るでしょう。しかし、留学後、しばらくの間は敗北感しか残っていませんでした。
しかし、今となっては、自分は何に対して敗北感を感じていたのだろうか、と思います。勉強すること、学ぶこととは、自分自身を研鑽させていくためであり、他の人と比べるためではない。親のためでもない。他者の期待に答えるためでもない。これまでの自分から新しい自分に変えられて成熟していくためであり、敗北感を感じる必要など全くない、そう思うようになりました。
自分の挫折を通して自分自身を知りました。自分の脆さや弱さを知りました。素直にありのままの自分を認めて、背伸びして生きることから自由になる機会を得ました。苦しみや挫折の中身は異なっても、それによって失望している人の思いを知ることができるようになりました。また、絶えず学び続けることの大切さを知りました。留学中に読んでいた本を開くと単語の意味の書き込みで真っ黒だらけになっている。でも、今、改めて読みながら知っている単語を消しゴムで消していくとどんどん白くなる。他の人にとっては大したレベルではないかもしれない。だけど、以前よりも少しずつ知っている単語が増えてきている。自分のペースで焦らずにコツコツと学んでいけばいい、そう思えるようになりました。学習は生涯をかけてするものであり、学院の生徒達も今の結果、成績に一喜一憂せず、目的を持って学び続けて欲しいと思います。わたしたちの人生はいつ、どこで本当の花が咲くかはわからないからです。
教会のカレンダーでは今の時期はレント(大斎節)という時期です。十字架の道行きの前に苦悩するイエス・キリストに目を留めます。また、十字架の死によって、イエスという大切な存在を失い、これまでの人生は何だったのだろうかと挫折し、苦悩する弟子たちの姿に目を留めます。そして、その先にあったキリストの復活の恵みを祝い、その恵みに喜ぶ弟子達の姿に目を向けます。
レント(Lent)とはアングロサクソン語の「レンクテン(lencten)」という語から派生したものと言われていますが、その意味は「春」であり、「(草花の芽が)伸びる」という語と同じ語根を持つそうです。わたしたちが体験する様々な苦しみ、挫折の中でも神様は恵みの水、光を注いでいる。人生の中にある苦しみ、挫折には隠された意味があり、苦しみや挫折を通して豊かにされ、成長し、その先にある喜びに与れることを聖書は伝えてくれます。
皆様の上に神様の豊かな恵みと慈しみが注がれますようにお祈りしております。
チャプレン 司祭 林 和広