今日は一月二日。私は初詣に出かけた。人が混み合っている中での参拝は大変だが、神前で二礼二拍手一礼して気分一新するのは悪くない。毎年お賽銭もつい多めに放り込んでしまう。
「お賽銭」この言葉を聞いて私は一つ疑問に思ったことがある。それは何故お賽銭は投げるのか、ということだ。誰でも小さい頃からお金の扱いにはきびしく注意されてきたはずだ。私はそう思い、「なぜ日本人は賽銭を投げるのか一民俗信仰を読み解く」という少し宗教的だが、私たちの身の回りの慣習を民俗学という学問を通して考察してあるという本を読んでみた。
この本によると、お金が人の身代わりとして「ケガレ」を引き取る風習が残っているという。お金はケガレの吸引装置という事になり、神社は「ケガレ」の浄化装置であるという。賽銭を投げ入れる行為は、「ケガレ」がまとわりついた貨幣を投げ捨て、それを祓い清めるという意味があるらしい。
自分達が教えられたお金教育の次元とは全く違う儀式的行為の世界。貨幣の本質的部分に死の「ケガレ」を内在させているから、これがお賽銭を何故投げて入れるのかという理由だとこの本の作者は言う。意味を知ってやるのと意味を知らないでやるのはずいぶん違うだろう。特に宗教という物にはあまり興味の無かった私だが、ふと自分が感じた小さな疑問がその「宗教」という物とつながっていて、皆が皆、同じ考えをしているのではなく、その宗教ではこの考え方、というように一つの物事に関して色々な考え方があるということに私は少し面白いなと感じた。
(中学部2年生 女子)