夕食が終わってしばらくすると高校3年生が2人、もう職員室の前で待っていた。
この日はReigate & Redhill Music Festivalの引率、イギリスにしては暑いくらいの1日だったが、流石に夕刻になると風も涼しい。
片道約30分をかけて夕暮れ時のイギリスの田園をゆったりと車で走った。
草を食む牛や斜めに差す光が絶妙な演出をするレンガ作りの町並みを見ながら、その素晴らしさを後部座席の2人と共有しようとバックミラー越しに話しかけるタイミングをうかがっていたが、うつむきながら目を閉じている2人に話しかけるタイミングは結局最後まで訪れず、いつのまにかフェスティバル会場のReigateの教会に到着していた。
外見は古い教会だが中に入るとモダンなガラス張りの大きなしきりがあり、その向こう側で大きなグランドピアノの前に立って審査員の紳士が前のクラスの演奏について一人一人丁寧に解説しているのが見えた。
コメントが終わると3人でガラスの向こうへ移動、ピアノに近い席に一緒に座った。男子生徒の方はハンカチを出してしきりに手を拭いている。女子生徒の方はこのクラス最初の演奏とあって、既に中央の大きなピアノをじっと見つめながら順番を待っていた。
スクールコンサートで何度もこの女子生徒の演奏は聴いたことがあったが、今日の曲は初めて。教会の雰囲気もあってちょっと神秘的な気分に浸れるいい演奏だった。この演奏ならまたカップがもらえるかも知れない… でもそんな思いは2人目の中国系の女の子の演奏で断ち切られた。音楽学校で朝から晩まで練習しているような隙のない完璧な演奏。呆気にとられた。隣の男子はさっきより頻繁に手の汗を拭き始めた。この後の演奏はちょっと可哀想だとおもったが、数分後には彼も大きな黒いピアノに向かってしっかり演奏していた。開き直って演奏した2曲目も立派に弾き終わり、ちょっと安心した表情で席に戻ってきた。
そして十数分後、僕達は再び車に乗って帰路についていた。まだ西の空はほんのりと明るくて、静かで不思議な田舎の雰囲気を演出してくれていた。優勝した子の演奏があまりにも素晴らしすぎて賞が取れなかった悔しさもなく、「自分の演奏」がしっかり出来たねという話になり、立教のスクールコンサートで初めて演奏した時のこと、中学に入学した時のこと、中学部を卒業して日本に帰った友達のこと… 等々、他愛のない昔話で帰路はずっと3人で盛り上がった。中学1年で初めてこの子達の英語を受け持った時、毎週のように村に連れて行って地元の英人達に英語でインタビューをさせていた時の事を思い出した。その時もこうして学校の車でイギリスの田舎道を毎週のように走っていた。あれから6年が経つ。彼らももう立派な高校3年生だ。音楽フェスティバルに参加するのも多分これが最後。これからは本格的に受験勉強が始まる。
思い出を語り尽くす時間は到底なく、気が付いたらもう学校に着いていた。行きの車中の沈黙が嘘のようだった。緊張していたんだ、きっと。高校3年生になっても初めてのスクールコンサートの時のように緊張するものなのかも知れない。
駐車場に車をとめて職員室に戻る頃には辺りはすっかり暗くなっていた。
あの子達も一生懸命勉強して希望する大学に受かってくれるといいなぁ、そう思った。