僕の前には多分、今まで生きてきた中で打ち当たった一番高い壁’高校受験’が、その太い胴体を堂々とかまえて聳え立っている。どれ程の高さなのかなど、見当もつかない。その高さ、険しさに圧倒されて一歩後ずさりしながら考えた。
僕の正面には、地底から山を貫いて空に打ちつけられたくぎのような岩が見える。槍ヶ岳。長野県と岐阜県の県境にある山で北アルプスでは第2位の標高3180mの高峰だ。僕の正面にはその名前の由来でもある、槍の穂の様な大きな岩がバランス良く鎮座していた。震える足が重く、閉じたままの口の代わりに疲労や寒さ、痛みを物語っている。
2日間。1日何十キロもあの山の上から見える景色を目指して父と弟と、3人で歩いてきた。たったそれだけのために僕は1日目から筋肉痛の下肢を無理やり動かし、強い紫外線と悪い足場の中を延々と歩いてきたのだ。そして今、右足を岩のくぼみにかける。右手を適当な位置にかけ、ゆっくりと、左足を地面から離す。左手、右足、右手、左足という具合に少しずつ動かしていく。急に体を受ける風が強くなり、恐怖が背中をなめる。
父の趣味は多彩だ。マラソンや読書、ギターやウクレレ。僕は小さい頃からこういった父の趣味に付き合わされていたと思う。そんな父の名物、「突飛な思い付き」によって山に登る事になった。だから僕は父に付いて行く形でずっと山を登って来た。しかし、今は違う。横を見ても隣には誰もいなく、冷たい風が顔をなぶるだけだ。僕は一人だった。見えない頂を目指して最後にかかっているはしごを一人で直向きに登る。残りの段数が少なくなるにつれ心臓の鼓動が速くなっていく。そしてふいに手が空にかかった。しっかりと頂上を右手でつかみ、慎重に上っていく。
頂から見る景色はどんよりとした重い雲におおわれていて、あまり好ましいものではなかった。この景色のために2日もかけたのかと思うと笑いそうになる。しかし僕には、それ以上に心に残るモノがあった。
そして今、僕の目の前には過去最大の壁である’高校受験’が待ち構えている。どれ程の高さだろう?圧倒され一歩後ずさる。当然僕の隣には誰も居ない。これから僕はずっと見えない頂上を目指して一人で壁を登らなければならないだろう。まだ少しあのイタダキで感じた温かさが残っているから、がんばれると思う。
幸い、遺伝なのか父と趣味が似ている事が僕の救いだ。
(中学部3年生 男子)