アウティングが終わり、生徒会選挙に出馬する友達の雄叫びや、昨日のリュックによる肩こりを感じながら作文を書いていると、もうアウティングは終わったんだと実感でき一気に現実に引き戻された感覚に陥る。
面接後のドミ替え。多忙な日々が続き、「最近忙しすぎ!」と話していた私達中3にとって学校から開放されるアウティングという行事はとてもありがたい行事であった。しかも、この一日が終わったら生徒会選挙、持久走、そして期末テスト三週間前。つまり何が言いたいのかというと、このアウティングである1月31日を思う存分楽しむというのがどれだけ重要なのか、ということだ。
普通作文と言ったらその日の出来事を「中でも印象に残ったのはー」などといい、2、3個書くようなものなのだろうが、昨日のアウティングは何をしましたか?と聞かれて思い出せるのは行った場所、それを見て感じたことよりも、ごく僅かな、何気ない出来事や、友達と交わした会話の方が鮮明に頭に浮かぶ。
コーチに乗り込み立教の門をくぐり抜ける度、毎回お馴染みの「久しぶりのシャバだ。」というセリフにちゃんと吹き出し、自分の胸が踊っていることに気づく。目的地につくまで私達、「乗り物酔い激しい組」はバスの前の方で静かに目をつぶりながら賑やかな後ろの笑い声をBGMに景色を楽しむ。
バスを降りてまず最初に感じる海の匂い、冷たい風の中に温かい日差し、そして遠くまで広がる海の開放感。「日本どっち方面?」と聞く友人に、真面目に考える私達。海辺、でかいタワー、すべての瞬間にレンズを通して仲間を撮る。浅瀬を駆け回る細すぎる足、鳥に対抗する男子、ちょっと照れくさい雰囲気の男女、高所恐怖症の友達、全てのメモリーに笑い声や笑顔が溢れていて、いつかこれを見返したときにちゃんとその幸せな光景を思い出せるように画面いっぱいに笑顔を写す。画面外に広がる笑顔は今の私達しか知らなくて、もしかしたらこれも少し経てば思い出にもならず失くなってしまうのかもしれない、そんな不安にどんどん写真のフォルダが一杯になっていく。「icloudに十分な空き容量がありません」この言葉を幸せだと思ったことが今まであっただろうか。とにかく、全ての瞬間がアウティングという名目がつくだけで愛おしいものに変わり私達の中に刻まれていく。
日が落ち、いつも通り教室に戻ってきても今日の教室は一味違う。美味しそうな匂いが漂う中、そそくさと連絡を聞き、机を移動し食事を広げる。いつもの夕食よりも冷たくて乏しい晩餐かもしれないが、いつもの何倍も食が進む。もう入らないと嘆くお腹を無視するように放り込む甘いデザートは今日一日分の幸せをそのまま表していた。美味しいよと騙され食べた激辛プリングルス、辛いと分かっていながらも六枚一気に食べる友達。口の中が辛いおかげでまた甘いスイーツが胃の中に入る。
「太るー。まあいっかアウティングだし?」
アウティングという言葉はもはや魔法の言葉になっていた。
笑い声があふれる黄色い教室の中で思った。
この、一瞬一瞬の光景に溢れる笑顔こそがアウティングの魔法の正体なのかもしれない。
(中学部3年生 女子)