私のドミトリー(生徒が住んでいるところ)には、そこそこ大きな、角ばっていない三角形の池がある。その池は、決して綺麗とはいえないが、英国のお屋敷に居るような雰囲気を味わえるから、私は好きだ。
私は、よくその池の横の道を散歩する。特に用は無いけれど散歩する。それはその池にずっと前から住んでいるカモの家族が見たいからだ。
カモは、気ままに泳いだり、巣で寝たり、時にはどこかに遠出するときもあった。でも、私の中で一番思い出に残っているカモの出来事は、母ガモが卵を産み、それをかえして、家族が増えたことだった。
何年かに一度、カモはこの池の近くで繁殖し、のんびりと暮らすのだそうだ。
私はあと2ヶ月でこの学校を去る。そしてきっと大学に入って、社会人になって、老後を過ごすのだろうけれども、いつか、ドミトリーの横の池のことを思い出す日が来るだろうか。カモは子孫を絶やさずにまだパタパタと足を動かして泳いでいるのだろうか、と気になる日がいつか来るのだろうか。
今の私には見当はつかないけれど、きっとそういう日は来ると思う。だとしたら、この学校にある物や場所、そしてルールや出会った人たちでさえも、私には全て意味のある「モノ」になって来るような気がする。
そんな大切な場所とお別れするのは、とてもさみしいし、嫌だ。心が成長すればするほど「別れ」というものが痛いものに変わってくる。
だから私は、この先一生、精神的に大人にならないと決めた。
(高等部3年生 男子)