「今年の夏休みではどんなことは起こるかな」と立教生になって初めての長期休み故か浮かれながら羽田へと向かう飛行機に乗った。
難事はすぐそこまで迫っていた。
着陸、入国審査、荷物の受け取り、税関といつもの要領で到着ロビーへ出ると私を迎える者は一人もいなかった。私はたった一人なのだと実感した。両親も知人もいない。「どうしよう」とその一言が脳を占領する。そんな不安を抱えながら私は歩き出した。
不安が失せたのは母からのメール。そのメールは私を心配する内容だった。その時やっと暗い闇が晴れた。自力で辿り着けた嬉しさを実感した瞬間でもあった。
羽田を発ち、中部に着くと空はもう暗い青に染まっていた。その青はどこか不吉に思えた。それは外れていなかった。両親が焦りを見せながら足早に病院へ向かい、病室で見たのは見たこともない、瘦せ細った祖父の姿だった。私は悲しく、また悔しかった。悲しかったのは立教にいる時は一度もその類の話がされなかったから、悔しかったのはそれがやさしさで自分は何も気づかなかったから。他人にさえ思える祖父は私を見ると僅かに微笑んだ。でも私は反対に涙を流した。知らされないままだった事実と気づけなかった事実はずっと悔しさとして胸につかえた。
祖父は二日後に亡くなった。祖母は最期に会えて良かったと私に言った。でも私は立教の出来事を話したかった。祖父はもういないのに、その実感は結局得られないままである。そして乗り継ぎで改めて感じた家族の存在の大きさ。離れた場所にいても家族はいつも私のすぐ傍にいると感じられた。最後に祖父の死。命の尊さや儚さだけでなく、無力だった自分の後悔。私はたった数日でも沢山のことを改めて感じられた。なにより「過去はやり直せない」と感じた。だから「やり直せない」なら「やり直さない」過去をこれから作りたい、そう望んだ夏休みだった。
(中学部3年生 女子)