私は美術の時間に自由に絵を描いていいと言われたので、東日本大震災に向けてのメッセージを絵に表しました。
2011年3月11日、私は東京にいました。なぜなら、ここイギリスの学校(立教英国学院)に来るためにビザをとっていたからです。もともと私の地元は栃木県なので、その日は小学校を休んで東京に来ていました。そして午後2時頃に東日本大震災がおきました。私は父とあわてて逃げました。駅に入って大画面を見ていたら、宮城県気仙沼市の映像や岩手県の陸前高田市、釜石市、宮古市の津波の映像が出ていました。私の母の実家は大変な被害を受けた宮古市だったので、母は実家に電話をし続けました。そして10日後、やっと電話がつながりみんな無事に生きていると連絡が入りました。テレビには『死者○○○○人』のようなものが書いてあり、10分ごとくらいにその人数が増えていくので、大丈夫かなとずっと心配していました。その連絡が入った時には、すごくホッとしました。
数日後、私と父、母、妹の4人で実家を訪ねました。岩手県に入った瞬間、とてもビックリしました。高速道路も地震のせいで道路がボコボコしていて走りにくかったし、海側の道路に行こうとすると船が建物に突っ込んでいて道がふさがれていたりしました。そしてやっと実家にたどり着きました。みんな無事でしたが、家が浸水していました。実家にいる従兄弟達は毎日自衛隊の人たちが持って来てくれるおにぎりなどを食べたり、簡易風呂に入っていました。
こんな不自由な生活を毎日毎日続けていて、本当に大変だし、かわいそうだなと思いました。
そこで私は自分に出来ることがあるかと考え、ポスターを書きました。このメッセージが東北の皆さんに伝わるといいなと思っています。
早くこの日本がもとの明るい日本にもどることを私は強く願っています。
(中学部1年生 女子)