国際性
国際性と言われても何も思いつかないが、今道さんの作品を読んで思ったことがある。
まず、辞典で国際性を調べると、「外国、外国人とのかかわりかた。自国の常識にとらわれないものの見かた。」とあった。最近よく、「これからは英語の時代。英語ができないと就職もできないぞ。」というようなフレイズを耳にする。
日本は世界でも数少ない植民地になったことがない国で、僕は日本ほど外国人が少ない国を見たことがない。中国だってアメリカだってヨーロッパにだって他の国の人はいるし、移民問題にまで発展している所だってある。中学に入ってから、やっと英語を始める日本人との違いは一目瞭然だ。
ある人はもう日本人には家を貸さないと大家さんに言われ、ある人は行ったこともない国の、話したこともない同世代の人たちにサッカーを誘われたりもする。ある人は学校外出でロンドンに行った時に、会ったこともない、きっとこれからも会うことがないような人と話してメールアドレスを聞いたらしい。一切何の関わりもない外国人の学校のスクールコンサートに来る近所の人たちや、行ったこともないような遠い国で起こった地震のためにお金を寄付してくれる人たちや、集めてくれる人たち。日本の文化に興味があるからって、数少ないブレイクを削ってまでも日本人学校に訪れてくれる人もいる。
いろんな人がいるが、その誰もが、外国人である僕たちにしてくれた現地の人たちのことである。
国際性とは、こういうことではないのだろうか。気をつかってくれる事、普通に接してくれる事、心配してくれたり、知りたいと思ってくれる事。どれも日常的に僕たちがしていることだ。だが、本当に、そういう当たりまえの事が、当たりまえにできるだろうか。文化も違うし、考え方も違う。言葉だって通じないんだし、無理に決まっている。まだ多くの日本人はそう思っていると思うし、僕だって思ってないことはない。必ずしも考えが食い違わない訳ではないと思う。だが、そこで文化の違いや考え方の違いを受け入れる事、認める事が、「外国、外国人とのかかわりかた。自国の常識にとらわれないものの見かた」であり、今道さんの言う国際性なのだと思う。
(中学部3年 K君)