電車に揺られ、45分。降りた駅のホームの地面は、緑地に白い線。それが何を指しているか分からず、5歩進み、また振り返り少し遠くを見て、ようやく分かった。テニスコートである。
私は、ウィンブルドン男子シングルス決勝を観るため、最寄りの駅で降りた。駅のホームから、ウィンブルドンをイメージさせるため、テニスコートや、普段目にしない壁一面のテニスプレイヤーが載っている広告などがあり、独特の感じに驚いた。
でも、あまり時間に余裕が無かったため、さっさと駅から出た。ウィンブルドンへ向かう道中から、私はわくわくしてきた。テニスをしている者として、決勝を観戦するというのは夢のような事だった。また、どのようなドラマが生まれるのか、そのドラマが生まれる瞬間、その場にいられると考えると嬉しくなってきた。このような事を考えているうちに、あっという間にウィンブルドンに着いた。
やはり、ウィンブルドンといえば、芝のサーフェスのコート。その中でも、選手、観客、共に憧れるセンターコートに、今から私は足を踏み入れるのである。
入口から、もうセンターコートの姿が見え始め、徐々に近づいて行くにつれて、センターコートの独特の雰囲気、大きさが体に伝わってくる。近くの売店で、水や食べ物などをそろえ、ついに、センターコートへと入っていった。
今回の決勝の顔合わせは、世界ランキング3位と4位だ。
大迫力のセンターコートに、目が点になり、席は満員で、今まで人生では感じなかった変わったムードだった。
変わったムードにのまれ、15分、試合が始まった。決勝の一人の選手がイギリス人だったため、その選手のファンが会場の7割を占めており、もう一方の選手が可哀相だった。
しかし、可哀相な選手が何処、この聖地のアウェイなムードを断ち切り、ベストパフォーマンスを観客に見せつけられるのか。さらに、イギリス人の選手もファンが大勢いる中、なぜプレッシャーに打ち勝てるのか。選手の奥に秘めているものは何か、不思議に思った。
それは、努力を苦に思わないことだと感じる。たまたまテレビ番組で、テニス選手の練習風景を目にしたが、苦しい表情を見せない。「努力」と口で何回言うのは楽だが、行動に移すのは、ものすごく難しいのだろう。
さらに、ファンを魅了し、引きつけられるのは、選手が練習や、いろんな経験で身に付けた自信や、ファンの大切さを一番理解しているからだと思う。
私は、何事にも挑戦し、大人になるまでさまざまな経験をし、少しずつ心身共にきたえ追い込んで行き、選手と同じくつらい試練をいつか乗り越えていきたい。
選手は、日々限界を越えて頑張っているだろう。来年、聖地でのドラマ作りに向けて。
(中学部1年生 男子)