おそらく一番最初に練習を始めたのは、高等部一年二組だろう。でも私はあまり乗り気ではなかった。中学三年間、合唱コンクールをやってきた。毎年、大きなホールを貸し切って、優勝したクラスにはトロフィーが贈られるというとても大きなイベントだった。生徒たちは、七月の本番に向けて、五月の終わりにはもう歌の練習をしていた。少なくとも、練習期間は一か月以上あったのだ。合唱コンクールはそうやって前々から準備してクラスをひとつにしていくものだと思っていた。だから、練習期間が二週間だと知ったとき、正直無理だと思った。たった二週間で何をどうしろと言うのかと。合唱をなめているとさえ感じた。この思いから私は士気が下がってしまった。どうせ良いものなんて出来るはずがないと思ってしまったのだ。でも合唱は好きだから練習にはいつも参加していたし、積極的に歌った。でも心のどこかで本気になりきれていない自分がいた。そんな自分に気づきながらも、見て見ぬふりをしていた。クラス全体も、いまいち上がりきれてないのか、パートリーダー達だけが一生懸命な時もあった。しかし本番の日は刻一刻と迫っている。ほら、やっぱり二週間じゃ無理だよ、とか思いながらも、必死で練習を繰り返した。そのうちに、
「ここ、もう一回歌ってもらえる?」
とか、
「音程これで良い?強弱は?これどういう感じだっけ?」
と、いつの間にか燃えている自分。練習を始めて四日後ぐらいには、あのネガティブだった自分がきれいさっぱり、心の中から消えていた。しかし、というか案の定、全て順調という訳にはいかなかった。本番三日前、それまで出来ていた事が出来なくなり、集中力が欠け、クラス全体が中弛みしているとの報告がパートリーダーからなされ、指揮者を含め、三人でどうするべきか話し合った。なにしろ、本番まで三日という切羽詰まった状況だったため、非常に困難な選択だった。ここまで良い具合にクラスがまとまって二組らしさが出たのに、こんなところでくたばる訳にはいかない。リーダー達はそう感じたのだろう。その気持ちが焦りや不安、怒りに繋がり、練習でも褒めることはなく、怒るばかりだった。リーダーとその他のすれ違いが起きてしまったのだ。お互いがお互いを知らずにいた。私もリーダーなど、まとめ役は何度もやってきたから、ジャンルは違えど、リーダーの辛さや孤独、苦しみなどは痛いほどわかる。でも私たち指導される側もドミトリーで練習していたり、シャワーを浴びながら大熱唱したりと、人知れず努力していたのだ。このすれ違いを解決するべく、指揮者とソプラノパートリーダー立ち合いのもと、私はパートリーダーに全てを打ち明けた。リーダーの見ていない所で一生懸命に励んでいること、リーダーの辛さも十二分に分かるということ、成功したときは小さなことでも褒めてあげて欲しいということ、全てを伝えた時には既に涙が溢れていた。パートリーダーも泣きながら謝ってくれた。本当はドミトリーで褒めていたということも分かっていたし、お互いが気持ちを打ち明けたことで、また絆が深まり、新たな気持ちで歩み出すことが出来た。このことはアルトメンバーにも告げ、チームとして意味のある大きな一歩を踏み出すきっかけとなった。
私たちはその後も、本番まで何度も何度も練習を重ね、みんなで高め合っていった。そして本番。緊張と興奮とが混ざり合い、表舞台に立つ特有の妙な腹痛に襲われた。でもそれは舞台に立ったと同時にどこかへ消え、かわりに自信が心の底から湧き立つのを感じた。歌っている最中は、とにかく楽しくて、この時間が終わらないで欲しいと願った。合唱を終えて、私の中に生まれた思いは、やりきったという喜び、ただそれだけだった。結果がどうであろうと、悔いはないと思ったのだ。今までは、優勝を夢見て、優勝だけを目指していた。中学三年生の時のあの喜びは今でもはっきりと覚えている。でも今回の合唱コンクールは、勝ち負けなんかよりも、クラスがひとつになった、皆の絆が強く、そして深くなったということだけで満足だった。負けず嫌いな私が、こんなにも勝敗を気にしなかったのは初めてかもしれない。勝ち負け以上にクラスが一致団結していたことに自分自身、感動していたのだろう。終わってほっとしたのか、クラスの成長を感じたのか、そっと涙が頬を伝った……。
(高等部1年 女子)