この学校には2つの十字架があります。
1つはもちろん、いま君たちの目の前にある、この祭壇の十字架です。
実はもう1つ、学校の中に十字架がかかっているところがありますが、それはどこか、みんな気づいているでしょうか。
それは教員室にあります。教員室に入っていくと、ちょうど真ん中あたり、向かって右の中庭側の壁には時計がかかっていて、その反対側、向かって左の本館側の壁、今多先生と岡野先生の席の間の後ろの壁に、目立ちませんが小さな木の十字架がかかっています。
この十字架は、日本の池袋の立教小学校の校庭にあったイチョウの木を、切り倒すことになったとき、その木から作ったものです。
しかも、もともとは立教女学院の小学校にあったものです。
実は以前立教女学院を訪問した際に、この十字架が校長室にあって、これは立教小学校からいただいたものだというお話をうかがって、私は自分が立教小学校の卒業生だったので、あー、良いなー、うちの学校にも欲しいなー、と言っていたら、当時の立教女学院小学校の清水校長先生が、うちには2つあるから1つ差し上げます、と仰って譲ってくださったものです。
大事に手荷物に入れて持って帰ってきました。
私や橋川先生が小学生の頃に遊んでいた校庭の木でつくった十字架が、今こうしてイギリスの学校の壁にかかっている、不思議な気がします。あの十字架を見るたびに、あの時がんばっておねだりして良かったなあ、なんでも言ってみる、やってみるって大事なことだな、ということと、この学校が自分たちだけで成り立っているのではなくて、色々な人に助けられ、支えられているんだ、ということを思い出すようにしています。
さて、もう1つの十字架は、この祭壇の十字架です。
今から21年前、1994年にこのチャペルが出来たときに、この十字架が作られました。
実は高橋先生の手作りです。
当時のチャプレンだった齋藤主教が型紙を作って、それをもとに高橋先生と当時の体育の先生たちで作ったのですが、ちょっと想像してみてください。高橋先生が、ダンボールの厚紙で作ったこの十字架の型紙を背負って、ホーシャムのホームセンターの中を歩いている、十字架を背負ったキリストのような、実に不思議な光景だったと思います。
祭壇の十字架には色々なものがあります。君たちはヨーロッパで色々な教会を見ることが多いと思います。特にカトリックの国に行くと、金ぴかで豪華な十字架をよく見ます。また、磔(はりつけ)になったキリストの像がついているものもあれば、マリア様に抱かれた幼子のイエス様がついているものもあります。では、立教のこの十字架は何でしょうか。
当時齋藤チャプレンは、これは「愛の十字架」である、と仰っていました。
この形、この大きさは、イエス様がこう両手を広げて、さあおいで、とみんなを迎えているところ、抱きかかえてくれるところを表しているのだそうです。だからこれは「抱擁の十字架」、「愛の十字架」なのです。
今学期の新入生の皆さんにとっては「ようこそ立教へ、いらっしゃい、Welcome!」という意味を持っています。前からいる生徒には、「Welcome back!」の十字架です。前からいる生徒は自分が新入生だったときを思い出して、新しい気持で新しい学期を迎えてください。そしてもっと言えば、聖書には「疲れた者、重荷を負うものは、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」というイエス様の言葉があります。(マタイによる福音書第11章28節)だから、この十字架もそう言ってくれていると思います。苦しいとき、悩んでいるときには、この十字架を思い出してください。さらにもっと言ってしまうと、いつも卒業式で歌う聖歌、「神ともにいまして」のように、いつも神様が共にいる、一人ひとりの心の中にイエス様が共にいる、ということは、誰でも一人ひとりの心の中にこの「愛の十字架」を持っている、ということになるのだと思います。だから、お互いに助け合って生活する、困っている人には声をかける、これから立教での生活をおくるとき、自分の心の中にある「愛の十字架」のことを覚えて生活していってくれればと思います。