「人間という生き物は、どうしてこんなに単純で、自分勝手なのだろう。」
時は天漢二年、現在の中国が漢だった頃のこと。騎都尉・李陵が当時度々漢に侵略していた匈奴を征伐しに行くところから話は始まる。李陵は自分の率いる兵の数百倍も規模が大きい匈奴軍相手に善戦するが、最後は兵力、さらには自分の矢さえ尽きてしまい、結局相手に捕らえられてしまう。その後、漢では、「李陵が匈奴の兵の訓練をしている。」というデマが流れ、漢の武帝は激怒。周りの役人たちも、たった数か月前には李陵のことを褒め、そして共に杯を交わしていたというのに、手のひらを返したように、今では李陵のことを非難するばかり。李陵は匈奴の大軍相手にも善戦し、その結果匈奴に破れたのにも関わらず、だ。そもそもこんな大きな兵力の差で戦に臨むことになったのも、李陵の下に付くことを不愉快に思っていた老将・路博徳のたくらみによるものなのだ。唯一、このような周りの態度に疑問を感じていたもう一人の登場人物、司馬遷は李陵を擁護するが、最終的には宮刑に処されてしまい、そして李陵の一族もまた、全員殺されてしまう。
僕が冒頭に書いたような思いを抱いたのは、このシーンである。人間というのはなぜここまで単純かつ自分勝手なのか。これでは戦略とかそういうもの以前の問題ではないか。いかに人間社会が、嫉妬心や信ぴょう性の低い情報に流されやすく、そのようなものが人間社会に大きな影響を与えているかがよく分かる。人間社会の根本的な部分は、今も昔も全く変わっていないな、と思った。僕は冒頭部分のような思いを現代の世の中に対しても持ったことがある。ネット社会がその分かりやすい例の一つではないか。今、様々な人々がネットに書き込み、それを多くの人々が見ている。ネットは非常に多くの情報であふれているが、中には偽の情報も多数存在するのが現実だ。だがそんな情報に一喜一憂し、それを拡散させて他人からの同感を得ようとする人、またそれを求めている人達がいる。勝手な妄想を広げては他人を何の根拠もなしに批判する人もいる。でたらめな自論を展開してはそれを他人に押し付け、受け入れない人に対しては「人ではない」みたいなことを書く人だっている。そして、「ネットに書き込む人なんて、一部の限られた人達だけだ」とは思いつつも、結局ネットの意見を「全ての人の共通認識」のように扱い、参考にし、自分の常識として身につけてしまう僕のような人間が世間には大勢いる。所詮人間は、ネットのような本当かどうかも分からない情報に大きく左右されているのだ。
スポーツの世界だって残酷。どんなに有名な選手だって、衰える日は必ず来る。かつては自国を代表するような選手で、周りからちやほやされていたとしても、衰えて勝てなくなれば、とたんにバッシングをされ、叩かれる。またその逆もしかりだ。「実力主義」と言えば聞こえは良いが、人間と接する時は、必ず「情」を持って接するべきだと思っていた自分にとって、その行為はあまりに冷たすぎると思っていた。李陵や司馬遷は、そんなスポーツ選手に似ている。運命とは残酷なもので、自分が思っているほど上手くはいかない。天は人々の見方になってくれるが、時にはむごいことだってするのだ。彼らは勇気を出して運命に立ち向かったが、結果が伴わず、彼らの評価は地に落ちた。僕なら耐えきれず、「死にたい」と思うかもしれないが、死ぬ勇気もなく、ただ黙って残りの人生が過ぎるのを待っていたであろう。
だが彼らは違った。彼らの心は最後まで死ななかった。司馬遷は一時は死への思いがよぎることもあったが、大作「史記」を完成させることへの執念が、司馬遷を生き延びさせ、そして「史記」を完成させた。また、李陵と同じように匈奴に捕らえられていた蘇武は匈奴に捕らえられた後も匈奴の前に屈することなく、奥地でひっそり暮らしていた。冬はねずみを掘り起こして飢えをしのがなければならないほどの食料不足に陥ったが、そんな時でも祖国漢のことを忘れたことはなかった。李陵はその後も匈奴に残り、漢に戻る事はなかったが、だからといって李陵は意志が弱かったかといえばそういう訳ではないと思う。地位も家族も奪われ、漢には様々な思いがあっただろうが、そのような苦しみも乗り越えての決断だったと思う。
李陵も司馬遷も蘇武も、皆孤独だった。だけどいつでも自分の信念、意志を持ち続けていた。それが彼らの人生を支えていた。これこそ生き物としてあるべき、本当の美しい生き方ではないだろうか。自分は自分らしく存在すれば良いのであって、それが社会にどんな影響を与えるかなんて、僕たちに分かるはずはないのだから。
(高等部2年生 男子)