1月30日〜2月2日まで、立教は小さなブレイク期間、3学期の真ん中の、ちょっとしたお休みの4日間です。’楽しみ’として、アウティング(遠足)も入ります。
土曜日はその初日。朝食と礼拝が終わると自由時間!
午後にはギター・コンサートもあり、それぞれに日中の時間を楽しんだ後、夜にはちょっとした社会勉強の時間が待っていました。立教大学の観光学部で教鞭をとっていらっしゃる庄司教授が来校され、大学とは何か、学ぶとは何か、をテーマにお話をして下さったのです。
庄司教授は気さくな方。
最初から「君たちが普段授業してもらっている先生方は、君たちをひきつけるためにうまい話し方をするだろうけど、大学の先生は好きなようにしかしゃべらないから、おもしろくないかもしれないねぇ」とざっくばらんな人柄に、初めから興味を刺激されました。
「学ぶ」とは何か。
与えられて「勉強」することと、自分から進んで学んで深めてゆく「研究」の違い……これから先の学び方が変わってゆくこと、そのために今から、勉強しながら、自身で深めてゆく学び方をしてゆくことを、改めて示してくださいました。
「世の中にはいろいろなものがある。その中から『何をやろうかなぁ』と考えるんだよ」
「君達が社会で仕事をするころには、今はない新しい仕事が生まれている。」
先の先の人生を見据えて、そのためには大学で何をしておこうか、それには今何をすべきか。
以前、交換留学に行った女生徒が「バディの子たちは、将来のためにひるがえって今何をする、と考えていた」という言葉を思い出しました。
庄司先生の大学での実践も具体的に伺いました。
それは、志賀高原での町おこし。
町役場と教授・学生が協力し合って、プロジェクトを起こし、そのひとつとしてワインやおいしい食べ物の地場産業を生かして、すてきなカフェを開くというもの。どんなメニューを置くか、誰がつくるのか、場所探し、開いたカフェで働くのは?…いやぁ、面白い面白い!
移動が必ず自家用車である町で、アルコールを楽しむ取り組みが成功するのか?の問いかけを気にしつつ、それでも沢山のお客さんが楽しみに来てくれ、夫婦や親子など様々な関係のお客さん達が交わす会話をもれ聞いて、人と人とのあたたかさを感じたエピソードも、思わず心がほっこりしました。
生徒たちは、面白い、と刺激されていったでしょうか。こういった学びも、社会で活躍する様々な人の話をたくさん心に蓄積して、やがて見通せるようになってくるものもあります。
庄司教授はイギリスで1年間勉強されている最中だそう。いらっしゃる間にまたお話をうかがいたいものです。
「知」を求めることは人としての大変なよろこび−庄司先生はこういう言葉では仰ってはいないけれど、そういう思いがにじみ出ていました。生徒と一緒に聞いた先生も深く感じ入ったものです。