6月17日金曜日。
朝起きると、今にも泣き出しそうな空模様。
「せっかくのアウティング(遠足)なのに…。」
やや残念な思いはするものの、「今日はほとんど室内だから。」と気を取り直して出発し、向かったところは、ロンドンはBATTERSEA近くの漱石記念館です。
今から約100年前、私たちと同じようにイギリスに住まって「おお!」「こんちくしょう!」「なんだろう、あれは!」などと喜怒哀楽のもとに毎日を送っていた人物です。
H2の今日のアウティングは、午前中は漱石記念館、午後はイングランド銀行。今までにない新しい取り合わせでした。
漱石記念館は、春に裏千家ロンドン出張所から特別行事のご案内をいただいたところ。2学期の国語の授業で『こころ』を学ぶこともあって、「これはチャンス」と予定に組み込まれました。
このため、H2では6月から漱石の『自転車日記』を毎日ホームルームで、朗読当番の生徒と共に全員で少しずつ読んでいました。
実は金曜日は開館日でなかったのですが、快く訪問を承諾して下さいました。
案内して下さったのは、記念館を創設された恒松氏のご夫人。
漱石がなぜイギリス留学することになったのか、この記念館は5つ目の下宿の真向かいに位置していることや、
彼がなぜ2年の留学生活で5回も下宿をかわったのか、どんな思いで毎日を送ったのか、なぜ帰国したのか。
漱石の気持や息づかいが感じられるような、面白いお話をうかがい、見学しました。
何よりも、
漱石は文部省の留学生だったけれども、十分な資金が提供されず、大学に入ることが不可能だったこと
そのために、本を買って独学し、また大学教授や知識人に附いて個人教授で学んだこと
少ない資金を勉学に費やすために、安い下宿を求めて何度もかわることになったこと
社交が十分できるほど経済的余裕がなかったので、下宿の食事を摂る時間が英語を使う貴重な機会だったこと
そのために、きちんとした英語を求めて教養のある階級のお宅を求めたこと
漱石その人の苦悩や前を向いて歩む姿に、感銘を受ける思いでした。
単身赴任だった彼が、何度手紙を送っても妻から届く手紙は少なくて、寂しい思いもしていたそうです。周辺散策中、彼が使ったに違いないビクトリア朝の郵便ポストを見て生徒がぽつり。
「なんて書いた手紙を投函したんだろうねぇ。」
「奥さんに『もっと手紙頂戴』って書いたんじゃないかなあ。」
インターネットや電話がある今でも、両親のもとを遠く離れて寮生活を送る生徒にとって家族との対話は欠かせないものです。彼らの心に響いたのでしょう。
さらに
漱石の作家としての活動は、イギリス留学後、亡くなるまでのたった10年間だったこと。(意外です!)
近代化のすすむ時代、東京帝国大学で英文学を学んだ2人目の学生で、期待の星であったこと。
イギリス留学時代に同居していた化学者・池田菊苗氏の影響で、文学を科学的見地からも解き明かそうとしたこと。
とにかく本をたくさん買いあさり、帰国時には300冊にもなっていたこと。
なかなか面白い話をたくさん耳にすることができました。
膨大な本の一部は、同じ物が買い集められ、今、漱石記念館に収められています。
昼食をピカデリー・サーカス付近の繁華街でとると、午後はイングランド銀行の博物館へ。
ふだんなかなか訪れない『ロンドンのシティー(ビジネス街)』の様子は、車窓から物珍しく目に映りました。イングランド銀行は、日本では日本銀行にあたるところ。ドルが基軸通貨となるよりも以前に、世界に大きな影響を与えた1694年設立の銀行です。入ってすぐの、インフレーションのバランス取りや、クイズを解き明かしつつ金庫開けなど、子供の心をぐっと掴む展示の数々に、立教生は大興奮でした。もちろん紙幣の歴史や、コイン刻印の機械、第一次世界大戦後の1000ポンド札、金塊を持つ体験コーナーなど、学術性の高い展示にも目を奪われている様子でした。一番人気があったのは、様々な歴史的紙幣の展示室だったでしょうか。
勉強色の強い遠足だったとはいえ、思わぬ面白さに、恒例のアウティングワークシートをちょこっと忘れてしまうほど、大満足して帰って来ました。
もう5年しますと、夏目漱石没後100年の年がやって来ます。