この文章を書いていますのは七月上旬なのですが、立教英国学院がありますイギリスは、EU離脱問題で揺れています。
離脱・残留の投票だけでなく、残留派の女性国会議員が殺害されるという事件を通して、民主主義やその根本である「話し合う」ということについて、様々な思いが錯綜しています。
イギリスに住みます生徒達は、このことに対してとても高い関心を持っています。
それは生徒達がこの国では外国人、マイノリティ、寄留者であるからでしょう。
それもありまして、世界の様々な問題、今学期でしたら、アメリカのセクシャルマイノリティのコミュニティでの銃乱射事件や、熊本の被災者の方々の現状などにも、生徒達は自分なりの考えを持とうとしています。
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私が受け持つ聖書の授業の中では、聖書を暗記するとか、数千年前の特定の宗教思想を倫理・道徳のように学ぶ、という手法を用いていません。
イギリスの義務教育課程にあります宗教科では、宗教・民族を異にする多様な国民の共生を目指すために、その現在の宗教の姿から入るという手法が用いられています。
それは、他者の価値観を理解することを通して、自分との間に共通性と違いの両方を見つけ出し、そこから自分の生き方についてじっくり考える機会を与えるためです。
聖書の授業の中で、たとえば黒人差別と諸宗教の関わりや、ハンセン病問題、アメリカのキリスト教原理主義問題などを取り上げますと、生徒達はこのような現実を他人事として見過ごすのではなく、自分自身の問題、人間の問題として捉えようとすることが伺えます。
繰り返しになりますが、彼ら自身がこの国では外国人、マイノリティ、寄留者であることの意味は、多感な時期において人生の大きな財産となることでしょう。
聖書は、自分自身を常に「外国人、マイノリティ、寄留者」であると意識することを勧めています。
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旧約聖書に出てきますイスラエルの民は、その歴史のほとんどにおいて「外国人、マイノリティ、寄留者」でした。彼らは差別される苦しみを知っており、同時にそんな自分たちが助けられた喜びを深く知っていました。ですから、聖書は常に、他の 「外国人、マイノリティ、寄留者」に対して、歓待することを勧めています。
人は愛されたことを知るからこそ、他者を愛そうとするのです。「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」(ヨハネによる福音書一五章一二節)というイエス様の御言葉が響きます。
12世紀の神学者、サン・ヴィクトルのフーゴーはかく申します。
「故郷を甘美に思う者はまだ嘴の黄色い未熟者である。
あらゆる場所を故郷と感じられる者は、すでにかなりの力をたくわえた者である。
だが、全世界を異郷と思う者こそ、完璧な人間である。
未熟な魂の持ち主は、彼自身の愛を世界のなかの特定のひとつの場所に固定してしまう。
強靭な者は彼の愛を、あらゆる場所に及ぼそうとする。
完璧な人間は、彼自身の場所を抹消するのである。」
生徒のお一人お一人が英国の地にて良い学びをされることを祈り願っております。