高校一年生の第一学期「現代文」は、川上弘美さんの「境目」という随筆でスタートを切りました。様々な「境目」を例に挙げながら、さりげなく「境目」に対する考察や独自の考えを述べていた筆者。読解後の発展学習として、各自ペンネームを使って「オリジナリティー」を重視した600字程度の「随筆」を書くことにチャレンジしました。学期末に完成した「2018年度 高一エッセー集」の中から、いくつかの作品を10回に分けてご紹介します。
「言葉とは」
〈ペンネーム〉ゆ
私が小学校六年生の時に転校生が来た。確かブラジルからだった気がする。肌が黒く匂いも私達とは違った覚えがある。その子は日本語が一切話せない。日本語しか話せない私は、その子に引かれている境界線を感じ、一言も話さないままその子は違う学校に行ってしまった。
小学校を卒業してすぐにスウェーデンに住むことになった。生まれた時からずっと愛知の田舎町に住んでいたので「新しい環境」というのが嬉しく楽しみだったが、想像していたよりもはるかに大変で辛かった。自分が置かれている立ち位置や境界線がまるで目に見えているかのようにはっきりとしていた。
スウェーデンに来て一年が経ち、通っていた学校が変わりまた新しい環境からのスタートだった。
「ニーハオ」
これが初めて話しかけられた言葉だった。とんだ勘違いだと思う人もいると思うが、私一人の周りに引かれていた境界線を踏み越えてくれた人がいた。すごく嬉しかった。
でも私はスウェーデン語が得意ではなかったから教室にあった世界地図を指差した。相手は笑って謝ってくれた。口は閉じたままなのに会話が出来た事が嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
クラスの人達と話す時はジェスチャーを使った。(たまに耳が聞こえないの?と言われる事もしばしばあるが)どこかに行きたい時は場所や地図を指差すだけでも相手と会話することが出来る。友達だって出来る。折り紙の折り方を教えることだって出来る。
言葉とは、確かに大切だが自分の言葉を相手が知らない時だってある。自分はこの人と違うからと自分から境界線を引き殻に閉じこもるのはやめてほしい。また、相手に無意識に境界線を引くのも。言葉は違っても同じ人間だ。このくらいの思いで生きて欲しい。自分と同じ経験をしてる人もそうでない人も。
小学生だったあの子ももう高校生になっている。まだ日本にいるのだろうか。友達は出来たのだろうか。笑っているだろうか。私もあの子の境界線を踏み越えていく人間だったら、小学校のほんの少しの思い出を楽しいものに変えられたはずだ。自分がスウェーデン語や英語を人並みに話せるようになった今でもあの小学生の思い出は忘れられないものだ。