「国際性」
今道友信氏の「温かいスープ」を読んだ。その中で主人公の青年はパリで部屋を借りるのに日本人だからという理由で断られたり、お金を受け取らずそっと温かいスープを出してくれたりと、色々な人と出会っていることがうかがえる。私も異国の地でたくさんの人に出会ってきた。その中でも、中東というところでは独特の出会いと別れを経験した。小三の頃から毎年、夏はバーレーンで過ごしてきた。そのため、毎年毎年、一人二人と友人が増えていき、たくさんの友人とプールへ行ったり、おうちにお邪魔したり、最近ではラマダンまで一緒に過ごすようになり、数え切れないほどの思い出がある。しかし、去年の夏にドバイにお引越しになったため、毎年夏に会っていた友人たちとはお別れになった。小学生の頃は私が英語が話せなかったためにテレビゲームなどでしか一緒に楽しめなかったが、年を重ねていくごとに会話もできるようになり、せっかくお互い学校の話などして楽しめるようになったのに・・・そんな思いだった。一年ぶりに再会する友人、友人に、
「今年もあなたに会えて嬉しいわ」と言われて「私も」と答えるたびに悲しい気持ちになった。そんな時に学んだ言葉がある。
「今度絶対に日本に来て! 絶対にまた会おう」とお別れを告げる私にバーレーンの友人たちは、「インシャーラ」と口をそろえて答えた。インシャーラとはイスラム教徒が未来のことに対して神様のお導きがあればという意味で使う。小学校から中学校にかわる時、イギリスに来る前など私もいくつかのお別れを経験してきたけれど、日本では、「長い休みは絶対遊ぼう」とか「メールしようね」などと友人から答えがかえってきて、また自分も同じように言っていたと思う。でもお別れのときに「神様のお導きがあれば」と考える中東の人々は素敵だなと心から思った。交通機関もネットも発達していて、いつどこにいても話したいと思えば話せる、会いたいと思えば会えるからついつい「長い休みには」「メール」などと言ってお別れをやり過ごす私にはまったく想像もつかない考えだった。
一年間立教で過ごした私も三月で卒業する。緑のきれいな立教、いつでも見守ってくださった先生方、何より辛いことも楽しいことも一緒に乗りこえてきた仲間とお別れをすることはとてもとても辛い。日本の学校とは違い、友人と家が近いということはあまりないし、どんなに仲が良くても住んでいる国さえ違うこともある立教生と一度お別れしてしまったら、二度と会えないかもしれない、そんな風にまで思ってしまう。そして、お別れをあいまいな言葉でやり過ごしてしまいそうになると思う。だから三月の卒業を間近にひかえた今、夏のすてきなお別れを思い出している。立教だけでなく、これから先、たくさんの国でたくさんの人と出会って、楽しい時間を過ごして、今の私のように辛く悲しいお別れをする事があると思う。今よりももっとグローバルな世界で生きる私に、性別や国籍なども違うたくさんの様々な人との国境を越えたお別れが来るかもしれない。その時は、「インシャーラ」と言った友人の笑顔を思い出して、世界で活躍できる人になりたいと思う。
そして三月の立教の卒業式は、またどこかで出会える日を願って、涙ではなく笑顔で迎えたいと思う。そう強く願っていれば、神様のお導きによっていつか、今よりももっと輝いた仲間達に再び出会うことができると信じている。
だから「インシャーラ」
その言葉を自分自身に言い聞かせて、高校生への新たな一歩を踏みだせたらいいなと思う。
(中学部3年 Nさん)