アリス!このたわいない話をうけとり
その手でそっとしまっておいておくれ
思い出の神秘な絆のなかに
子供の日の夢がないまぜになったあたりに
巡礼たちが遠い国で摘んできた
とうに萎れてしまった花冠のように
不朽の名作、不思議の国のアリス。私は今まで何となくしかこの物語を知らなかった。しかもその何となくというのも、原作ではなくディズニー映画の物語だったと思う。今回原作を読んでみて思ったが、何でも元を知らないでいるということは、残念なことだ。話の流れこそ破天荒で何が何だか分からないけれど、子供心を持って読んでみれば、楽しいことこの上なかった。
アリスのおもしろさは、主に二つで、おまけにもう一つという感じだと考える。
まず、一つ目は、翻訳者泣かせの駄洒落やジョーク。例えば、物語終盤のウミガメモドキの話にある、教科目のジョークだ。英語だと「History(歴史)」と「Mystery(謎)」が掛けてあるけれど、日本語では「まずミステリーがあったよな。(略)古代と現代の霊奇史だよ。」と表現されている。というか、こう言う他ないのだろうと思う。児童ではあるが、原作は英語だから、翻訳すると大人でも考えないと分からない駄洒落が生まれてしまうわけだ。あちこちにちりばめられているこの言葉遊びは、アリス最大の魅力と言える。
二つ目のおもしろさは、三人称小説であることだ。
「それだけなら、べつにどうってこともないやね。」
本編が始まってすぐに登場する語り手の台詞だ。読み始めてまず衝撃を受けたのがこの書き方だった。現代小説で、語り手が登場人物に対して茶々を入れるのと、この「語り手を近くに感じる書き方」は別物だった。作者が子供たちに語って聞かせたのが、アリスの始まりだった訳で、全編通して話し言葉で一杯だ。それだからか、読んでいて、アリスとして冒険するのではなく、アリスを間近で見ている様な気分になる。アリスの横に並んでいる様な感じだ。この語り手によって成り立つ微妙な読者の立ち位置は、かなり斬新である。私としては、これが前記の魅力と並ぶアリスの味なんだと思う。
さて、最後に、私が「おまけにもう一つ」とした点だが、これは物語の初めと終わりに感じられるものだ。日本的に言えば「衰え」か、作者の表現を借りれば「たあいない悲しみ」だろうか。私は初めに、作者ルイス・キャロルが「アリス」に充てた詩を抜粋した。この詩には、あくまで「不思議の国のアリス」が子供の夢物語であることが記されている。また、この夢物語がいつか懐かしくどこか切ないものに変わるということも。そして物語の終わりには、立場をアリスの姉に変え、その懐かしい思い出となった夢物語でも、アリスが将来語り聞かせるだろう幼い子供たちには、楽しい話になると書かれている。どうだろう。この複雑なあわれは。
—-今の私は大人でもないが、アリス程子供でもない。夢物語と現実に区別がつく年頃だからこそ、この話が味わい深かったのだと思う。大人だったら、それこそ作者の言うとおり「子供の日の夢がないまぜになった」ものだから、おもしろいはず。
この機会に「不思議の国のアリス」を手に取ってみて、正解だったと思う。多分、同じ年頃でも、この話をつまらなく感じたり、もっと深い部分を指摘したりする人もいるはずだ。けれど、それがミソだ。不朽の名作とは、どんな時代にどんな人が読んでも、考えられるという意味でおもしろいものなのだ。
とにかく私が最後に書いておきたいことは原作を読まないと分からない世界もある、ということだ。どう感じるか何てのは、後付じゃないかい?
(高等部1年 女子)