私は、この十キロマラソンをする前、どうしてチャリティーでマラソンをやるのかがよくわかりませんでした。コンサートを開く、絵画の鑑賞会を行うなど、様々な方法があるにもかかわらず、なぜ、わざわざ自分たちが疲れるマラソンという方法を取ったのか、私には理解できませんでした。その答えは、練習、そして本番中のどこかで知ることができる、そう期待して練習に打ち込んでいました。しかし、その答えが見つからないまま2月5日を迎えました。
本番直前、おびただしいほどの郡集を前に、私は驚愕しました。そんな中、目の前にいた若いイギリス人に「Today is very cold.」と言われ、「Yes,It is very cold.」と応えました。その人は非常に楽しそうに話しかけてくれました。私は、何故、英語がペラペラのイギリス人ではなく、自分に声をかけてくれたのか、それがわかりませんでした。レースが始まると、様々な人とコミュニケーションをとる機会がありました。音楽隊の方たちからの「You can run!」や、走っている人からの「You run very fast.」などの励ましの言葉、そのような声をかけられているうちに、私は不思議と大きな円の中に入っていくような気持ちになりました。10kmも走っていれば、身も心も疲れていき、やめたいと思う場面に何度も遭遇します。しかし、そのたびに足を一歩一歩出すことができるのは、力を振り絞って前を走る友人や、周囲の人たちのおかげです。彼らにおいていかれないために、私は走り続けることができました。そして、彼らにとっては、私も同じような存在だったのではないかと思いました。このようにして、マラソン参加者一人一人が様々な人の原動力となり、その人たちもまた誰かのことを支え続ける。10kmという途方も無い距離を全員で支え合って走り、結果的に、全員で社会に貢献する。全員が団結して誰かを支える。だからチャリティー活動はマラソンでよく行われ、同時にマラソンでなければならないと思いました。
高等部1年男子