まだ春が来ていなかった仲冬の、彼女たちの訪問から半年近くが経って、今度は私たちが、真夏のWolverhamptonを訪れた。
連日の猛暑で、出発の日曜日も例外なく真夏日で、快晴の清々しい夏空の下、私たち交換留学生6人は、学校のミニバスに揺られてWolverhamptonへ向かった。待ち合わせ場所は、並木が涼しげな陰を落とす学校前の通り。到着すると懐かしい顔ぶれが私たちを待っていて、私たち6人はそれぞれ別々の家族に連れられて、5日間の「自宅」へと向かった。ただ、私のパートナーの家族は遅れて来たため、彼らが迎えに来てくれるまでの間、私は初めての一人でのホームステイへの不安で緊張していた。けれども、車から飛び降りて私を呼んだミッツィーは、久しぶりの再会に、温かいハグをくれた。前回の訪問時と同様に、またしても私の胸中の不安は、彼女たちとの出会いによって消えてなくなった。
再会からの毎日は、一時停止なんてできない、13人の少女たちの活気で、勢いよく過ぎていった。特に学校で過ごす時間は一瞬で、欲張りになってたくさんのことを学ぼうとするほど、授業は早く終わってしまった。5日間の経験は貴重なものばかりで書き切れないが、私が交換留学だからこそ学べたと感じた出来事を、いくつか紹介したい。
最初に紹介するのは、やはり最初の日の出来事である。その日はウィンブルドンの決勝で、77年ぶりの英国人男子優勝者が出ることとなった試合があった。家に着いて着替えを済ませると、ほんのり西日が差しているリビングに降りて、ミッツィー家族に混ざって決勝戦を見た。アンディー・マレーが1ゲーム、1セットと勝利に近づくにつれて、普段マレーの試合を見ると泣いてしまうというお母さんまで、2階から降りてきて、5人でテレビに身を乗り出して試合を見守った。そして最後の一球が、ジョコビッチのコートを見事に貫いた瞬間、スタジアムの観客と同時に、一斉に立ち上がってみんなで喜んだ。私にとってはそれが初めての家族との時間であり、マレーの優勝を一緒に喜べたことがすごく嬉しかったし、同時に英国人のテニスに対する愛着が身をもって感じられた。
次に学校での時間で気づいたことを紹介する。私たちのパートナーは、英国式のカリキュラムで言うと「sixth form」で学習を進めている生徒たちであり、4科目ほどの選択教科を、それぞれ週6時間勉強するという時間割だった。ミッツィーがとっていたのは数学、化学、生物と日本語だった。文系の私は、その教科を聞いて、彼女は理系なのかと一人で納得していたのだが、そもそも、文理の区別は英国ではほとんどない。他の立教の生徒のパートナーが何を選択しているのかを聞いてみると、数学と語学2科目をとっている生徒もいたり、物理と生物と語学という組み合わせもあったり、文理で分けるのではなく、個々が学びたい教科をとっているとのことだった。私は、このシステムは日本の大学に似ていると思った。でも高校生からこの仕組みで学べるのは、学生にとって有益なことだなと個人的に感じた。日本の教育は、世界的に見ると優れていると言われることが多いが、私は普段国立大学を目指して勉強していて、これが自分の進む道への基礎となるのか、たまに疑問に思うことがあった。どんな教科も自分のためになる云々の話は置いておくとして、私たちと同年代の少女たちが、自分で選択した教科で自分の将来を見据えて勉強しているのを見て、これが英国スタイルかと、教育方法の違いを実感した。加えて言うならば、Wolverhampton Girls High School は英国全体で見て、1、2を争う語学に力を入れている学校であるというのもあって、生徒の多くが2、3カ国語を理解していた。私たちが昼休みの輪に入っても、「私も日本語を習っていたの」「私はドイツ語がわかるよ」と、語学の話で盛り上がることが多かった。またそれに対して自信も持っていて、その言語を話してみることに抵抗が全くなかった。それ故、私も積極的に英語を使えた。こういう雰囲気というのも、雑多な文化が融合して成り立っている英国だからこそ、生まれてくるものなのかと思った。
これらのエピソードを踏まえて、総合的に今回の交換留学を振り返ってみると、日本の学校、教育との共通点も多かった。けれど、やはり違いを肌で感じることが多々あり、良い面も悪い面も、異なる文化として再認識できた。具体的に挙げるとすれば、授業中の飲食がとても自由であることには驚いた。学年末とあって、授業中に「ケーキパーティー」が始まることもしばしば。先生もケーキを一緒に食べていて、こんなに自由なのかと思った。一方、通常授業をするとなると、基盤になるのは生徒と先生の会話で、自分の意見を発信したり、ある生徒の質問から発展させて、クラスをあげてのディベートをしたり。生徒一人一人が考えないと、学べるものも学べないという気がした。生徒個人個人を主体とし、先生が誘導する形でそれぞれの意見、考察を導き出す。そんな形でどんな授業も行われていたと総括出来ると思う。
最後に、私がこの文章の題名とした「appreciate」とは何を意味するのか。
この動詞には、何かに感謝するという意味がある。ただ、人を目的語にとることはなく、物事に感謝する意味合いを持つ。そこで私は、この言葉をもって、こんな素晴らしい経験をできたこと、異国の友達と出会えたことなど、この交換留学という出来事に感謝したいと思う。何事にも感謝し尊ぶことは、日本人的な感覚と言いたい。
また appreciate は物事を正しく理解し、評価するという意味を持つ。私はこの留学を通して、英国をもっと深くまで理解することができたし、今まで何となくの概観だけで評価していたそれぞれの国の教育というのも、正しく把握し、比べることが出来たと思う。これは私の主観であり、英国人的な個人の感覚と言いたい。
この経験を通して、自分の中に新たな立場、見方というものが生まれ、英語を活かすだけでなく、それで学び、深い理解を可能にする力が身についたと思う。日本的な立場だけでなく、英国人的に考えること。それが少しできるようになれたこの感覚は、交換留学をして現地に滞在し、ホームステイをしながら本物の「英国」に触れたからこそ得られた。
5日間を通して、英語をさらに伸ばしたいと思うだけでなく、英語を話せて良かったと思えた。これは、交換留学プログラムを「appreciate」できたから見つけられた、大切な気持ちである。これからも、WGHSの友達と連絡を取り合って、いつの日かまた、一緒に笑い合いたい。
(高等部2年生 女子)