ジョン・F・ケネディ国際空港からタクシーで走ること数十分、遠方にかの有名な摩天楼が見えてきた。縦に広がった狭いエリアで、みな窮屈そうに建っていた。
ニューヨークの中心には、人、車、物があふれかえっていた。高層ビルは絶え間なく続き、ビルとビルの隙間により出来たとしか思えない道路には、老若男女、様々な人種の人々が行き交っていた。ヨーロッパ系、アフリカ系、ヒスパニック、アジア系… そして多くの人が共通語として英語を話していた。
私がニューヨークで印象づけられたのが、彼らがそれぞれ人種ごとに別々のエリアに住みわけて暮らしている事である。
例えば2日目、私達は中華を食べに行こうと中華街に行った。地下鉄で数駅と、それ程離れてはいなかった。しかし、駅から地上に出ると、そこは中国であった。まず見えたのは、あの有名なハンバーガーショップのマーク。その下の文章は全て中国語で書かれていた。携帯電話の広告も中国語、シティーバンクも中国語。遠方に見えるワン・ワールドトレードセンター(ワールドトレードセンターの跡地付近に建てられたビル)が唯一、アメリカに自分がいる事の目印に思えてきた。そして、この中華街がどこまでも続く。本当に一つの「街」なのであった。そして突然ある通りを境に中華街は一大金融中心地、ウォール街へ移り、中国語も突如姿を消す。さらには4日目に行ったやや外れにあるスペイン人街はそこへ向かう地下鉄の広告までスペイン語で、英語は書いていなかった。他にもリトル・イタリアやコリアンタウン、日本人街など、様々な個性あふれるエリアがニューヨークにはたくさんある。この国が、人種のるつぼであると実感する事ができた。
今まで住んできた国は単一民族の国ばかりであった。しかしアメリカはそれらの国々とは正反対だった。多民族が広い国土に住み、純粋なアメリカ人なしで建国し、これまで200年以上の間成長してきた。たくさんの人々が、アメリカという国を作る流れを作り、私はこの中に生まれた。
私はアメリカ国籍を選択する気はない。だが、このような環境で生まれ、その後様々な地域で暮らしてきた事はアドバンテージとなる。国際人になるためのバネになるはずだ。バネを上手に活用し、「真の国際人」になりたい。
(高等部1年生 男子)