「カシャカシャ」と音が聞こえる。周りを見ると、小さい子からお年寄りの方まで両手にカメラやスマートフォンを持ち、上を見上げている。中にはi-podを使っている人もいる。何を撮っているのか気になりみんなが向いている方を見ると、動物の彫刻があった。
今日は土曜日。久しぶりに家でゆっくり過ごそうと、家族でテレビを見ていた。「新しくなった東京駅」を紹介する番組だ。設計した人は辰野金吾である。この人は明治建築界の帝王的存在であり、日本銀行本店や両国国技館、山口銀行なども建築した。東京駅は当初三階建てであったのをご存知だろうか。東京駅は元々三階建てであったが、東京大空襲によりレンガを残して焼失するという悲劇が起こった。その後復興されたが、戦争で日本は負けたため予算がなく、原型とかけ離れた形になった。そのため二階建てになったのだ。
さて、今回の復元工事は何のためだったのだろうか。やはり一番最初の姿に戻したいという、多くの人の願いが強かったからだろうか。他には、二年前に起きた東日本大震災のような大きな地震に備えて、耐震工事をする必要もあった。
テレビで、「東京駅の両端のドームには干支彫刻がある。」と言っていた。それは一つ前の東京駅にはなかったものだ。しかし東京駅が造られた時はあったという。職人が分かりにくい昔の写真を一生懸命復元しようと、努力した印とも言えるだろう。
私たち家族三人は干支の彫刻を見に、東京駅に出かけた。東京駅にはたくさんの人がいて大人気であった。三、四年かけて工事したかいがあったと思った。
せっかくなので、母と一緒に地下にあるお店を見に行った。地下にも人がたくさんいた。しばらく歩くと、東京駅で有名な「お菓子ランド」があった。やはりここも人がたくさんいて、好きに歩き回ることが難しかった。困っていた私の鼻に良い香りが入ってきた。それはこのお店の看板メニュー。店内で揚げたばかりのポテトに、チーズやチョコレートをかけて食べるチップスだ。私は母にねだり、買ってもらった。大正時代から愛され続ける東京駅は日本の誇りだ。
最後にテレビで言っていた。「東京駅の屋根には、津波被害にあった宮城県のスレートを使っている」と。津波で多くの建物が流されたにもかかわらず、奇跡的に残っていたのだ。ボランティアの手できれいに洗浄され、その七割が東京へと運ばれた。全国の人の思いが一つになった建物–それが東京駅。私はいつまでもこの東京駅を守っていきたいと思った。
(中学部2年 女子)