赤ネクタイの偉大さ

赤ネクタイの偉大さ
 赤ネクタイが重い。もらうまではただのかざりだと思っていたけれど、受け取った瞬間それの持つ意味を感じてぞくっとした。
 私たちがこの学校ですごすのはあと二学期間だけである。その間することと言えば勉強くらいで、H3になる、ということは勉強する、ということなのだけれど、かならずしも勉強すればすなわち赤ネクタイにふさわしいH3になるという訳ではないのだ、と、ネクタイを受け取って首に巻いた時、思ったのだ。
 このネクタイをつけた人達を私達はたくさん見てきた。その人達はみんな私の憧れで、目標で、「H3」といえばその人達のことだった。
 今、仰ぎ見てきた赤いネクタイは自分の手元にある。それをつけた鏡の中の私は、どう見ても赤ネクタイに着られている人でしかない。憧れてきた先輩達の格好良さもない、この人ほんとにH3?と問いたくなるような自分はきっと、他から見ても同じように格好悪い自分なのだろう。
 H3になるということは。
 赤ネクタイを着けるということは。
 多分、後輩たちの憧れや目標になる、ということ。赤ネクタイというただの服飾品にこめられた尊敬を背負うということ。
 それがどんなに大変か私にはまだ分からない。ただ、今までのH3が守ってきたその憧れを無為に捨てたりはしたくない。
 二学期の終業式の日、赤ネクタイが誰より似合う自分になっていればいいなと思う。
(高等部3年生 女子)