ガタゴトと電車にゆられて、千葉の東端の銚子に向かっているはずなのにまだ着かない。もう1時間も立たされている、そもそも、なぜ落花生を見に行くのに、こんなに苦労しなければいけないのか、僕には良く分からない、インターネットで検さくすればすぐに見れるのに、と思っていた。しかも、一人で行くならまだしも、弟と妹をつれて行動をすればとても大変だということは、よく身にしみている。なのに、この後自分がどのような場面に出くわすかは、分からなかった。
祖父母の家に着くと、相変わらず自室でテレビを見ながら寝ている祖父に思わず笑ってしまった。この日は、旅のつかれと手のかかる弟と妹のせいか、すぐに寝てしまった。翌日は意外と大変だった。まずは、祖母の草ぬきの手伝いで、ぐう然ぬいた草の根本に付いていた毛虫の大群におどろかされ、しりもちをついてしまったり、雨が降っている中、畑へ行って落花生を盗撮する任務?があたったり、けい帯の充電がなくなってしまい、充電器を忘れたために、親との連絡がとれなくなって困ったり、色々とハプニングの連続だった。そして3日目、いわいる最終日を向かえた。この時も、けい帯の充電がなかったので、祖母が借してくれた電話がとても有り難く思えた。そして一大事が起きた。弟が隣の家とのせまいすき間に2階からあみ戸を落としてしまったのだ。しかも落とした場所には運悪くハチの巣があり、祖母がハチと闘わなければいけなかった。祖母には悪いが、「泣きっ面にハチ」とはこのことを指すのだろうか。しかしどうやったらあんなに2階からあみ戸を簡単に落とせるのか、今でも疑問に思う。
こんな感じに、落花生の撮影という宿題によって、さまざまなハプニングが起きた。ここから僕は、どんなにつまらない様な物でも実際にやってみると意外と面白いんだな、と思った。要するに、落花生みたいなものだ。つまらなさそうな種でも、まいてみると不思議なハプニングという柄が長く延びてきて、人生の土台に埋まり、何かになっていく。皆、実る実は違う。なぜならそれは、人生で一回だけの出来事であり、それと同時に人生の一つの思い出だからだと思う。
(中学部1年生 男子)